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2009.07.26

1786年に中津藩では日食を予測

吉富町歴史文化の会は24日までに、中津城下の事件事故を記録した「惣(そう)町大帳」の解読作業の中で、中津藩(大分県中津市)が、1786(天明6)年の皆既日食の時刻を正確に予測していたことを突き止めた。同会の山本初男顧問は「江戸中期すでに下級武士まで日食の時刻を知っていたのは驚き」と話す。

江戸中期に日食予測 中津藩の古文書解読中 驚きの発見 吉富町歴史文化の会 蘭学盛ん、時刻も正確 / 西日本新聞2009年7月25日 02:45リンク切れ

この記事を読むと日食の予報を蘭学の知識から行っていたかのようにとれますが,日食は持統天皇の時代から予報されていたので,単に暦に日食の予報が書かれていた可能性があるのではないでしょうか.

古代において、日食は重大な関心を持たれていた。『晋書』天文志では太陽を君主の象徴として日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説しており予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれている。 このため、日本の朝廷でも持統天皇の時代以後に暦博士が日食の予定日を計算し天文博士がこれを観測して密奏を行う規則が成立した。養老律令の儀制令・延喜式陰陽寮式には暦博士が毎年1月1日に陰陽寮に今年の日食の予想日を報告し、陰陽寮は予想日の8日前までに中務省に報告して当日は国家行事や一般政務を中止したとされている。六国史には多くの日食記事が掲載されているが、実際には起こらなかった日食も多い。ただしこれは日食が国政に重大な影響を与えるとする当時の為政者の考えから予め多めに予想したものがそのまま記事化されたためと考えられ、実際に日本の畿内(現在の近畿地方)で観測可能な日食(食分0.1以上)については比較的正確な暦が使われていた奈良時代・平安時代前期の日食予報とほぼ正確に合致している。

日食 - Wikipedia

でもコンピュータのない時代にどうやって計算したのでしょうか?

私の生まれた福岡県大平村下唐原(現 上毛町)は県境の山国川のほとりにあり,最寄り駅は対岸の大分県中津市の「中津」なので採りあげてみました.

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